MEMORY

unforgettable 03 HIROKI GOTO

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2009年。5月5日。恵比寿リキッドルームでくるり「アルバム『魂のゆくえ』爆音試聴会」が開催された。くるりの最新アルバムを良い環境で聴くことだけが目的だった。ラインナップされていたLIVE ACTには全く興味がなく、ビールを飲みながら適当な時間を過ごした。ふとステージの方に目をやるとandymoriというバンドが“ベンガルトラとウィスキー”という曲を物凄い勢いで演奏していた。鳥肌がたった (I believe in トリハダ)。

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この日からandymoriが好きになった。その頃の下北沢でのLIVE は、お客さんはまだ少なく伽藍としていた様子。後藤大樹氏に出会ったのもこの頃だった。しなやかなで繊細な印象だけれど、ドラムを叩くとスピードとパワーに圧倒され少し怖かった。

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2010年、春。L I V Eを終えたばかりの後藤氏が廊下の椅子に座っていたので話しかけた。「ドラム、上手ですね。」と伝えると汗だくの彼は謙虚に、「いえいえ僕はうまくはないです。でも今日は途中から加速できたので良かったです。」不思議な返答だったので鮮明に覚えている。後から思い出して何度か笑えた。いわゆるドラマーの正しさからはかけ離れていたから吸い込まれた。

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2010年、夏。またある日のL I V Eの後に話しかけた。「オレンジトレインという曲のドラム、なんかいいですね。」少し照れたような表情で「ありがとうございます。電車のようにガタンゴトンって叩くんです。」アイデアのあるドラミングを知ってさらに彼に興味を持った。確かに鼻歌を唄っているかのようなドラムで、音をドレミファソラシドで捉えているようにも聞こえた(ドラマーなのに)。

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2010年 秋。後藤氏はamdymoriを脱退。そのタイミングで目黒で彼と夕食をした。好きなバンドのこと、好きな曲の話をたくさんした。好きなバンドや曲が嘘のようにシンクロして、ミュージシャンである彼と、ミュージシャンでない僕の琴線が似ていて嬉しくなった。ただそれだけのことで完全に通じ合えた気がして、いつか一緒にプロジェクトをしたいとこの頃に思った。そして数年経過。

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2017年、春。ADIDASとJFAによるサッカーワールドカップ映像のCreative Directionをすることになった。映像に当てる音楽の作曲を大樹くんに依頼した。A L (後藤氏、現在所属バンド)のツアー中にも関わらず快諾してくれた。いつも想像を超える解釈で、アイデアがあって、いろいろな楽器を自由自在に操り、何にも囚われていなくて、表現において大切にしていることが似ている。そんなこんなを知っていたから、制作は極めて順調に進んだ。その後、夕食して深夜の阿佐ヶ谷をゆらゆらと散歩しながら「あのウミネコ、のコーラスを教えて」と言うと、「あーいいですね!」と間髪入れずに”あのウミネコ”を高らかに歌い始めた。音楽のすぐ側で生きてるように見えてとにかく羨ましいだなんて思ってしまった。

shot by Kohei Adachi

shot by Kohei Adachi

一緒に映像音楽を作ることの新鮮さ、ダイナミズム、喜び、に取り憑かれて時間を忘れてスタジオワークをしている。僕が手掛ている映像音楽のほとんどは、大樹くんが作曲家として存在している。今も変わらず、彼は本物のミュージシャンで、僕はただのファンなのかもしれない。けれども一緒に何かを表現する時はバンドメンバーのように思っている(しかもパンクロックバンド)。これは、僕の人生に起きたとっても素敵で必然的な出来事のようで、また一緒に作りたいという気持ちが自然と溢れてくる。だから、下手だけど下手なりにちゃんと伝わるように作ろうと覚悟する。

Kohei Adachi